「かながわの朝鮮学校交流ツアー2025」に参加しました


 

今年は2月15日に川崎朝鮮初級学校で開催されました。昨年8月に新校舎に生まれ変わり、「輝かしい未来はここから!」というスローガンにふさわしい明るく開放的な校舎です。補助金がなくなったなかで多くの人々の支援・協力で完成しました。最初は幼稚部から小学生の各教室の授業を参観、英語と日本語の授業以外はすべて朝鮮語です。それから体育館で朝鮮舞踏「小太古の舞」、吹奏楽演奏、全児童での合唱を鑑賞し、午後からは朝鮮大学校演劇部による演劇「約束」を観ました。

戦前の日本は富国強兵の国策のもと、植民地であった朝鮮半島から労働力として約200万人を動員、戦後、約60万人が日本に残りました。1946年には自分たちのルーツを誇り、自己肯定感を尊重しようと「民族教育」を実施する朝鮮学校を開校、教師3人、生徒100人から始めました。しかし、1949年にGHQの意向により「朝鮮学校閉鎖令」が出され、日本の学校の分校とするという方針に対して激しい反対運動がありました。演劇「約束」は1990年代に創作され、この1949年代を舞台にしています。今日まで上演され続けてきましたが、日本語での上演は今回が初めてです。年月を重ねて「チマチョゴリ通学」など今の大学生たちも知らない日常の変化もありますが、朝鮮学校が「各種学校」の扱いであり、差別やヘイトがなくならない状況は未だに続いています。また、拉致問題を理由に県や市からの補助金がなくなってしまいました。川崎市は以前は約900万円を補助していましたが、現在は「多文化共生事業費」という名目で五分の一に削減されています。

最後に10人くらいのグループに分かれて、「ともに生きる」をテーマにディスカッションを行いました。少子高齢化が進み労働人口が減少し、働き手の不足が深刻になっているなかで、地域社会の担い手として「多文化共生の推進」が叫ばれています。在日韓国・朝鮮の人たちは、言わば多文化共生のパイオニアです。私たちは朝鮮半島を植民地支配してきた歴史を認識し、相手の立場に立って「民族教育」を理解することが大切です。変わらなければいけないのは日本社会ではないかという意見が出ました。人権や多様性を尊重した社会の構築に向けては、互いの文化を知り、違いを認め合い、対等な関係を築いていくことが重要です。また、高校3年生の女子からは、「バスケットボールで日本の高校生と合同チームを結成したことがあった。最初はお互いに壁を感じるような雰囲気だったが、一緒にプレーしたり話したりするうちにすっかり打ち解けて仲良くなれた。」という話がありました。お互いの理解を深めるには、人と人がつながることが大切だと改めて思いました。