今国会に上程の動きがあった「教育基本法」の見直しについては、政府与党内の調整が整わず、当面見送られることになった。しかし、自民党を中心に教育基本法見直しを求める声は強く、早晩、政治日程に上ってくることは間違いない。
教育基本法見直しに向けた中央教育審議会答申の問題点を明らかにし、「改悪」に反対する立場を明確にしておきたい。
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答申では、「わが国社会」と「教育」が危機的状況に直面しているという認識のもと、「21世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成」をめざすとしている。そして、そのために、「家庭の教育力の回復」「公共に主体的に参画する意識や態度の涵養」「日本の伝統・文化の尊重、郷土や国を愛する心と国際社会の一員としての意識の涵養」等を「改正の視点」として上げている。
現行の教育基本法が、前文で「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する」と謳い、「個の尊重」に基づくこどもの「権利としての教育」を明確に規定しているのに対し、中教審の答申は、「個の尊重」よりも愛国心に裏打ちされた「公=日本国への奉仕」に重きを置いていることが読み取れる。
郷土愛を否定するものではないが、国と国の垣根を低くし、多民族・多文化が共生する地域社会を築くべき時代に、法律でこどもの心のありようをひとつの型にはめるべきではない。
家庭の役割まで、国が法律で定めようとしていることとあわせ、私生活への国家の介入は、危険であることを主張したい。
また、答申では、現行法に明記されている「男女共学」規定については、「趣旨が浸透している」として削除を求めている。しかし、公立高校でも男女別学制が当たり前の県がいまだに存在するなか、この規定の削除は拙速に過ぎよう。
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そもそも、今、なぜ「教育基本法」見直しなのか。
答申では、日本社会と教育現場におけるさまざまな問題を指摘し、その多くの原因を教育基本法に求めようとしているようだ。
しかし、「(日本国憲法の)理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」と高らかに宣言した教育基本法の精神が徹底されてきたのかということこそ、問われなければならない。多くの若者が、出口の見えない閉塞感のなかにあるのは、こどもたちの責任ではなく、おとなたちの責任である。こどもたちが思い切ってチャレンジでき、失敗してもやり直せるようなセーフティーネットを構築することこそ、教育基本法改悪以前に政治がなすべき仕事である。